4月 8 2015
終わりと始まり、それから僕はあのとき何を話していたか
2ヶ月前に書いたこのエントリの続きの話です。今回は、僕の最近の文章としては珍しく日記っぽい感じ。
青春の、パーティーの終わり
3月15日にOK?NO!!のアルバムレコ発ワンマンライブに行ってきた。やれる曲は全部やりますよ~とのことだったので、本来その日に入っていた予定をうまくやりくりして行くことに。
ライブは1月にリリースされたアルバム「Rhapsody」の収録曲を頭から順番に演奏しつつ、その合間に過去アルバムの収録曲やtofubeats「水星」「SO WHAT!?」のカバーを混ぜていく形で進んでいく。ラップとタンバリン担当の菅野氏が床を見ながら「えーっと、残りは…」と言ってメンバーに突っ込みを受けたりしながら、アルバム最終トラックの「Rhapsody」が終了。別に最後の曲とか言わなかったけどどうするのかな?これから入り口でもらった新曲とかやるのかな?と思っていたところでMC。リーダー上野翔さんが「このOK?NO!!というバンド、もう5年間もやっているのです」とバンドのなれそめを話し出す。しかしその次に出てきた言葉は、まるで予想していない物だった。
「今日のライブをもって、OK?NO!!は解散します」
どういうこと?
「2nd「Party!!!」を出したときに、うれしいことにいくつかのブログで取り上げて頂きましたが、その中でも印象に残っているのが「青春ゾンビ」というブログのものです。「きっと無意識に「青春」を「パーティー」とイコールで結んでいたのでしょう。パーティーはいつか終わります。」という一節はとても印象に残っていて、その通りだなあと。そして僕にとってはOK?NO!!がそれでした。Partyはいつか終わるんです。」
※MCの細部までは再現できてません
そして演奏された最後の新曲「See You」もこれまた本当によい曲だったし、まさにOK?NO!!の音だった。
ライブはアンコールに「Party!!!」をもう一度演奏して終了。本当にパーティーは終了した。もちろん大好きなバンドが解散するのは残念だった(しかも解散宣言を聞いたり本当に最後のライブに行ったりというのは人生で初めてだった)けど、その終わり方はあっさりしていて、後に引きずらない物だった。そして家に帰ってから、入場時にもらった「See You」の歌詞カードの内容を確認していたら、だいたい全部納得した。
Hi, charlie! How have you been? Nice to see you. I’m fine.
but it’s tough for me to move from here. I know. I must found new apartment.
Do you know nice one?やあ、チャーリー!調子はどうだい?久しぶりだね。俺は元気だよ。
だけど、引っ越さなきゃいけなくて大変なんだ。新しいアパートを見つけないといけなくてさ、わかってるんだけどね。
良い物件知らないかい?
ここで出ている人名「charlie」は彼等が敬愛しているCymbalsが結成された最初期の名前「Spaghetti Charlie」に由来する。彼等は「Party!!!」にもそこから取った「Meat Spa」というそのものズバリな曲を収録しているけど、最後の一曲を作るときにもここまでド直球なCymbalsオマージュを出してくるとは、と恐れ入った。まるで「最後にもう一度みんなで今まで通りのやり方で最高のものを作ろう」という意気込みで作られたビートルズの「Abbey Road」じゃないか。どこまでも青春で、パーティーで、とびきりアウトプットが良かったOK?NO!!。本当にありがとうございました。初めて(最後)を目撃したバンドがあなたたちで良かった。
始まりの日。あの日僕が話していたこと
ここで話はいきなり2週間ちょっとさかのぼる。渋谷、表参道。この日僕はTWEEDEESのプレミアムショウという名のデビューライブを見に来ていた。TWEEDEESについて改めて説明すると、結成時「Spaghetti Charlie」という名前だったことでおなじみのバンドCymbalsの沖井礼二さんがソロ歌手として活躍していた清浦夏実さんと結成したバンド。沖井さんも淸浦さんも自身名義の作品はここ3年出てなかったということもあり、ファンの期待は肌に伝わってくる程だった。
ライブ自体の内容についてはナタリーのレポートを参照ください(丸投げ)。1曲目からうなる沖井さんのベース、個性の強い沖井サウンドを軽々と乗りこなす清浦さんの上品だけど茶目っ気のある歌声(土岐さん・青野さんの系譜を感じるなあと思ってたらやっぱりそうだった!)、そしてめちゃくちゃ長いMC(FROGの時からそうだったのでわかってはいたけど、更に長くなっていたような)。2015年の沖井サウンドの現在地点を見られて満足。
ところで、その日の夜に上がった、2月発売のMARQUEEでTWEEDEESのインタビューを担当したライターの山本祥子さんによるツイート。
そこにぶら下がっているリプライを見ればわかるんだけど、ここで言われているTWEEDEES論をかましていた「右の方」は僕です。さて、この時僕が話していた「TWEEDEES論(そんなたいそうなものではない気がする)」とは、どのようなものだったのか、インタビューの内容に触れつつご説明したい。結論から先に言うと、「だからTWEEDEESはうまくいく」。
清浦 私はその、最初に映画談義をしたんですよ。で、好きなジブリ映画は何?って話になったら、お互い「紅の豚」で。更にイタリアの話、映画音楽の話から、エンニオ・モリコーネが好きなんですっていったら 俺もだよ!!って返されて。あれ?って。
沖井 「紅の豚」はデカかったと思う。他にも数多くある中で、豚の泣きが好きだっていう。
清浦 あれは大人の青春映画だ!って盛り上がって。うん、そこをとっかかりに合致していった感じがありましたね。
この日(最初に会話を交わした日)の翌日にTWEEDEESの結成が決まったのだ。細かい話だけど価値観が一致しているのは大事。ちょっと話してそれがわかったのであればとてもハッピーなことだ。それにしても「紅の豚」という共通項はなんかわかる感じがする。
しかし、僕が重要と思ったのはこのくだりよりも、その後の初レコーディングの話。ちと長いよ。
清浦 沖井さんに比べて主張が無いと思ってるんですけど……どうなんだろう?
沖井 プライドが高いし、気も強いので、彼女の中で明文化できてない部分もあると思うんですけど、「月の女王と眠たいテーブルクロス」が初の歌録りだったよね?
清浦 その話、しますかぁ(苦笑)
沖井 僕がディレクションして歌ってもらうのも初めてだったから、お互い試行錯誤しつつ、時間がかかったけどいい歌が取れたねって一段落した後に、ほら、僕、多重コーラスが好きじゃないですか。
——沖井礼二の持ち味ですからね。
沖井 でしょ?いつもの調子で始めたら怒り出して。なんで怒ってるんだろうと思ったら、ソロでは自分だけで歌ってたから、自分の声の曲に他人の声が乗っかるのがイヤだと。
清浦 許せなくて喧嘩したんですよ。なんで勝手にどんどん入れていくんですか?しかも沖井さんの声で!って言い合って。最終的に朝8時のスタジオで私が泣く、みたいな。
沖井 エンジニアさんは凍り付いてて。
清浦 要は互いの持ち場をただ守ってただけなんですけど。
沖井 でもそこまでその持ち場を守ろうとする人は初めてだったし、驚くと同時に、年齢もキャリアも上の人間にそこまで食ってかかれる何かを持っていることに対して、大人の僕は頼もしく思うことも出来るわけで。
まずは沖井さんの言っている通り、とにかく自分をしっかり持っているなあという感想が浮かぶんだけど、その一方で僕は「沖井さんはようやくベストパートナーに巡り会えたのでは?」という気持ちになった。なぜかというと、過去に沖井さんのこんなツイートを見たから。
これを読んだとき、Cymbalsの頃の沖井さんは孤独だったんじゃないかな、ということを 感じた(もちろん憶測に過ぎないけど)。特に後期に至っては土岐さんや矢野さんもソロ仕事が増え、別に何か言おうというモチベーションもなかったんじゃないかな、とか思うわけで、それゆえにCymbalsは続かなかったんじゃないか。でも清浦夏実という人は、制作時には自分を貫いてマジで沖井さんにぶつかっていくし、ライブなんかのトークでもひとり突っ走る彼をたしなめる役割を務めている。こういう風に真剣に渡り合おうとしてくる清浦さんは、もしかしたら沖井さんにとっての最良のパートナーなのではないだろうか。
面白いのは淸浦さんが沖井さんより二回りくらい年下な事。決して100%対等というわけではないのだろうけど、逆にその年齢差ゆえのマジックが生まれてきているんじゃないかな、というのはライブのMCや日々のTwitterなんかでの会話を見ても思うところ。というわけで改めて結論。「だからTWEEDEESはうまくいく」。
そしてその絶好の組み合わせで作られたTWEEDEESの1stアルバム「The Sound sounds,」はどうだったか。清浦さんがナタリーのインタビューで語っていたように、花澤香菜・竹達彩奈(時系列の都合上言及されていないがもちろんさくら学院バトン部Twinklestarsもだ)等への楽曲提供を経て、ポップスとしての普遍性を獲得してきた沖井礼二による、珠玉のポップス作品がそろっている。
いつもの沖井節ともいえる「電離層の彼方へ」とかももちろん良いが、どちらかというとそこから小難しさを少し薄めてすっきりとした「沖井ポップス」になっている曲が大半で、FROGやSCOTT GOES FORよりも遙かに幅広い層に届きそうだ。特にM-3「月の女王と眠たいテーブルクロス」や最終トラック「KLING!KLANG!」なんかは特にそうで、軽やかなポップスの中に沖井さんの個性的なベースラインが乗っかる面白い曲だ。
そして清浦夏実が作詞だけでなく作曲にも取り組んだ「Rock’n Roll Is Dead!?」は、軽快でどことなくみずみずしさの漂うメロディが特徴的なナンバーで、このバンドの伸びしろを感じさせる。ミュージックマガジンの評通りカバー曲に異物感は否めないけど(ジミヘンの「Cross town traffic」なんかはCymbals時代のカバーとほぼ同じようなアレンジだ。まああれはいつもシングルの3曲目で、アルバムには収録されなかった物だし…)、まだまだこの組み合わせで色々聴かせてほしい、と思える仕上がりだ。
そして3月23日、僕はタワーレコード新宿店で開催されたTWEEDEESのインストアライブとサイン会に行った。
沖井さん、清浦さん、どうもありがとうございます(ぺこり)。6月の1stライブ、楽しみにしてますね。TWEEDEES大好きです。
11月 16 2015
「30代の僕達が2015年に聴く音楽」についてずっと考えてるという話
このブログでは定期的に日本人の音楽受容みたいな話を書いているけど、日本では30代になると音楽を熱心に聞いたり追っかけたりしなくなる、というデータがある。例えば下記のエントリ。
博報堂「生活定点調査」データに見える日本人と音楽の関わり
理由は割と想像がつくところで、仕事での昇進あるいは転職・結婚・育児などライフスタイルが大きく変わる出来事がある、という話が大半だろう。ではあるんだけど、もう一つ大事な話として「30代に合った音楽が無い・もしくはアクセスしづらい」みたいな話もあるんじゃないかな、というのも日々感じている。ポピュラーミュージックは若者向け、みたいな話は聞かれて久しい(もちろんヒットする物には幅広い層にリーチする魅力がある)けど、こうも嗜好の細分化・クラスタ化が進んだ現代ではそれぞれの年代にリーチする音楽というのをもう少し考えてみてもいいんじゃないかな、と言うことをここ数年ずっと考えていた。そんなわけで、いくつか最近自分で見聞きした物をピックアップしつつ色々考えてみたい。
●ズバリ「30代」を描いたPOLTAとONIGAWARA
そもそも歌詞にその楽曲の主人公の具体的なパーソナリティを入れることってどちらかというと少ない。なんでかというと、その付加した属性に当てはまらないリスナーに共感されづらくなるからだと考えられる。なんだけど、裏を返すと「ターゲットを絞り込んで強く共感させる」という手法に用いられることもあるわけ。そんなところで最近「30代独身」みたいな要素を思いっきり歌詞に盛り込んできた物をいくつか立て続けに聴いて「これも一種の時代の流れなのかな…?」なんて思ったりした。
1つめはPOLTAの「SAD COMMUNICATION」。noteにクソ長いレビューを書いたのだけど「みそじれーしょん」の「あたし このまま死ぬのやだな」は超刺さった。「それでも前を向く」も含めて共感ポイント多数なんだけど、聴きすぎるとちょっと辛くなる(苦笑)。しかしながら「30」も含め、書いている歌詞世界はかなり真に迫るものがあるなあと思ったり。
2つ目はONIGAWARAの「エビバディOK?」の「ONIGAWARA SUPER STAR」では「不謹慎とかじゃなく男子30にして嫁をめとらぬ者は人間失格 じゃあ僕はもうリタイアします音楽と一緒に心中します とか言ってみたいけど言うわけない 早く人間になりたーい」なんて30代独身男性視点の歌詞が出てきたりする。。銀杏BOYZとかサンボマスターとかが10年前くらいにやってたやってたリビドー全開のロックより若干思春期抜けた感じに仕上がってる。年末にもモテたい男子の妄想ソングをリリースとのことで、確かにそっちの方が今っぽい感じだ。
とはいえ、ここまで書いた結果こういった歌は「ライフステージが変わってない人」のための歌なんじゃないかと気がしてきた。じゃあそういう人も含めてどんなのがフィットする広い意味での「30代にマッチする音楽」かな、みたいなのが次のお題。
●グッドポッポスみたいな話、それから歌は世につれみたいな話
最近思うのはじっくり聞かせてくれるようなポップスがより心地よくなっている、ということ。この辺は好みとしか言いようがないんだけど、自分としてはいわゆるギターロック的なものから年をおうごとに離れている自覚はある。エアジャムも98世代もメロコアもリアルタイムで一切通らなかったという人間なのでそうなのかもしれないけど、それ以上に自分の年齢にマッチしてきているんじゃないか、という感触がある。
その代表的なのは先日あったクラムボンの日本武道館ライブ。クラムボンはここ5・6年くらい見てて、3人だけで織り成す強靭なアンサンブルに常に圧倒されてきていたんだけど、それが日本武道館というスケールでも普通に機能してることに驚いた。両国国技館でやった時よりもはるかに響きも良かったように感じるんだけど、機材のアップグレードによるものだけでもないだろう。また、アンサンブルという観点からは先月見に行った吉田ヨウヘイgroupのワンマンライブも相当に良く、こう行った「音を聴かせる」ことと「グルーヴ感」を両立したポップスなんかは正直に言ってもっと僕ら世代の人間に聴いてほしいと思う。クラムボンがイオンモールツアーをやった理由には「子育て世代に入った自分たちのかつてのファンに見てほしいから」というのがあったけど、確かにこういう音楽をカジュアルに聴く機会があったらなあという感じはある。吉田ヨウヘイgroupのライブを見終わった後にはほんとそう思った。あと「ホールで見たい」というのも。
もう一つ、そういった聴かせるポップス方面として良かったなあと思うのは先月行われたTWEEDEESとROUND TABLEの対バン。ROUND TABLEは花澤香菜のバックバンドとしてもやっているメンツが半分以上で、心地よくかつ軽やかな音が印象的だった。そして何よりもゲストコーラスの藤村鼓乃美(ワンリルキス)のソロ楽曲「SUMMER VACATION(北川さんプロデュース)」がめちゃくちゃ良かった(CD再販してください…配信でもいいんで)。
それを受けてのTWEEDEESも、6月のワンマンライブからかなり場数を踏んでいたためかバンドとしての一体感も出てるし各曲における歌い方や見せ方が「バンド然としてきた」印象を受けた。沖井礼二feat.清浦夏実状態だったデビュー当初からするとバンドとして成立してきているなあと。その実感が出てきていることが清浦さんの次の台詞からもうかがえる。
Cymbalsの「怒れる小さな茶色い犬」を披露した後の盛り上がりを受けての物だったけど、率直に言って僕はこの言葉を聞けて、ポスト渋谷系チルドレン(というかCymbalsチルドレン)としてすごく嬉しかった。Cymbalsの再現みたいな物を求めるんじゃなくて、現在進行形のバンドとして進んでいくんだ、という決意が聞けたことが本当に嬉しかった。
特にここ数年は90年代のヒット曲を中心にカバー曲やリバイバルが大盛り上がりで、「もう新曲いらない」みたいな気持ちの人も多いかもしれない。でもやっぱり「歌は世につれ世は歌につれ」という「音楽と時代・思い出の結びつき」みたいな物は、空気感薄くなったとはいえ絶対にあると思うわけ(前節で挙げた「30代独身」の歌なんかもそう)。懐メロ商売自体は大して否定しないけど、それ自体が過去にばっか目が向いているよねえということが、僕にとってこの手の物にあまり手を出したくならない理由。だから、過去に頼らない自分たちの歌をきちんと作って聴かれていくぞ、というその意思表明については本当に拍手したい。
特にこのグループにはCymbalsファンと清浦夏実ファンという二つのクラスタがあって、それぞれが(僕も含め)かなり過去にとらわれている印象があったので、その辺について思うところはあったんだろうなあとも思うわけ。ここからに本当に期待したい。Cymbalsのアナログ再発、結局注文しちゃったけどそれはそこから沖井さん達が活動続ける原資になればなあという気持ちもあってであり、やっぱもっとこの先の展開を見たい。まずはCymbalsや清浦ソロの曲やらなくてもいいくらいにレパートリーがほしいよね。笑
そんな感じで、自分の好みに自覚的になりながら、そこにマッチする音楽を引き続き探していこうかな、と思う次第。いいのがあったらもちろんここなどでピックアップする予定。近日1本紹介する予定(最近遅筆だけど割とすぐやる予定!)
By たにみやん • Music • • Tags: ONIGAWARA, POLTA, TWEEDEES, クラムボン, 吉田ヨウヘイgroup