3月 25 2011
東京ドームでのナイター開催は本当に電力の無駄なのか?
僕はどちらかというと野球よりサッカーを早く再開してほしいと思っている方の人間なんだけど。
ご存じ大震災の影響により電力需給が逼迫し、大量に電気を使う各種興業系は続々と開催が見送られている。因みに僕も3月18日にのあのわのライブがある予定だったんだけど、延期となってしまってちょっと残念な感じ。
ところで思ったんだけど、東京ドームに行く人は家で電気使わないから、その増減のバランスの結果東京ドームで野球やった方がいいとかそういう事態はありえるのかな?ということが気になって気になって仕方ないので計算してみることに。
まず取り出したるはこれ。
というわけで、まず東京ドームでは13時〜22時の9時間で24,000kWh使うと。
ここによると一般家庭の24時間での電力使用量は10kWhなんだとさ。
ここから逆算すると、一般家庭24世帯が1時間電気を使うと10kWhとなる(乱暴な計算ですね)。
さて。
ここからは推測とかもかなり入るんだけど、やはり開場の17時辺りから22時までがたっぷり使うであろうのでここで8割の20,000kWh使うとする。つまり1時間4,000kWh。
これをカバーするには何世帯の人が東京ドームに行けばいいかをざっくり出すと、
24*(4000/10)=24*400=9,600で9600世帯。
2009年の世帯平均人口が2.62人なので、これをかけると25,512人観客が入ればいいということになる。因みに読売巨人軍の平均入場者数は41,203人。
えっ!?
これホントかね。
みんなが巨人戦見に行って家を空ければむしろ節電になっちゃうの!?
というわけですが、そんな一筋縄に行くわけがないと思うのでいくつか予想済みの反論。いわゆるFAQ。
- 家を空けたからといって必ずしも消費電力は0にならない。
仰る通りで、待機電力やら冷蔵庫やらがある。なので、30世帯で10kWhくらいにしとくのが自然なのかね。ということだと、12,000世帯→31,440人になる。これでもまだ行けるもんなのか…? - 移動とかにかかる電力を無視するのか。
限界費用って知ってます?乗車率70%の電車を100%にしても基本的に消費電力は変わらないのよ(多少の誤差は生じるけど)。 - 東京ドームの24,000kWhはあくまでもドーム側の数字であり、他の人達(マスメディアとか)が使う電力は入らないのでは…?
いや、多分入ると思う。 - 家族全員ドームに行く訳じゃないだろ
まあそうだけど、ここで使ってるのはあくまでも平均値なので… - 計算が雑
はいすみません、その通りです。あくまで指標くらいで考えて欲しいです。
そんなわけで、(あくまでも客が埋まったと仮定すれば)、そこまで電力需要圧迫しなくてすむんじゃないかという気がしなくもないのです。ていうか巨人軍や東京ドーム側はそういう形での説得すればいいのではないかな?まあこういう説得って何故か日本では通じづらいよね。なんでかな。論理より感性っていう国民性?
因みに同じく電力消費の煽りを受けている東京ディズニーリゾート。こちらは2009年度の来場者数が25,818,000人とのこと。となると1日辺りは8万人弱。同じように計算するとこれもっときついんじゃないの?って感じなのです。施設の近くに土地買って太陽光発電所作った方がいいんじゃないか…?
この計算が正しいかどうかについては自分自身あまり信じていないんだけど、とりあえず一つはっきりと根拠を持って言えることがあるのは、「東京ドームで開催されたからには観客満員にならないとそれこそ壮絶な無駄になる」ということ。さっきの反論2で限界費用という話をしてるけど、こういうキャパの決まった施設だと、収容率を50%から100%にするにあたり必要な電力量っていうのは基本的に殆ど変わらないか、無視できるレベルだったりする。だから、とりあえず開催されたら非難したり臆したりせず、行きたい人はどんどん行った方がいいと思うよー。
3月 2 2013
eneloopのデザイン変更に見る「ブランドとは何か」という話
パナソニックが買収した三洋電機の充電池eneloopの4月26日発売の新モデルからデザインを大幅に変更すると発表したことで結構な騒ぎになっている。
はてなブックマーク – パナソニック、繰り返し回数が伸びた「eneloop」と、容量が増えた「充電式EVOLTA」 – 家電Watch
eneloopというブランドの死によせて – daialog
僕のスタンスっていうのはこのツイートの通りなんだけど、この問題っていうのは「ブランド」という概念について理解するいい素材だと思うので、せっかくなのでかなり教科書的に補助線を引いてみようと思う次第。
●ブランドとは何か
まず最初に、この件に言及されていたコメントの中でもブランドという言葉の定義が割れてたので、極めて教科書的に定義を確認したいところ。というわけで、今から20年ほど前に出た、ブランドという概念が注目されるきっかけとなった名著から引用。
「コカ・コーラ」という名前がブランドだというのは半分くらい当たってるけど、やはりあの文字の形・赤いバックグラウンドがあって、コカ・コーラというブランドたりうるということになるだろう。だから、デザインも含めて「ブランド」だ、ということになる。というかこの辺まで読み進めてしまうと結論が見えてきそうだけど、しつこく丁寧に引っぱる。腰が出るように。今度はマーケティングの大家、フィリップ・コトラーの言葉を引用する。
今回のケースで言うと、真っ白な体に青文字でシンプルに「eneloop」と書かれた電池は一目見ればそれが充電式の繰り返し使える電池であること、放置してても減らない(本筋と離れちゃうからあれだけどこれは当時凄く画期的なことだった!)ことを消費者に連想させてくれる、ということになる。
●ブランド認知・ブランド価値
さっき言ったとおり、eneloopという青い文字の書かれた白い乾電池を見ると放置しても減らない充電式電池だと言うことがすぐに連想される。こういった多くの人の「eneloop」というブランドへの認知が積み重なって、eneloopは充電池の代名詞となった。それまで電池を指名買いして買うということはあまりなかった。充電池もそうである。しかし、eneloop登場によりその状況は変わり、eneloopは指名買いされる大ヒット製品になった。好循環の発生であり、それにより、eneloopのブランド価値はますます高まっていった。
ブランド価値とはブランドの価値である。というとそのまんまじゃんという話になるけど。このブランドの価値は企業が持つ重要な資産だという考え方が先に引用したデビッド・A・アーカーの「ブランド・エクイティ戦略」が出版されて以降共有されるようになってきた。そしてそれを定量測定しようという考え方なんかも出てきてる。というか「ブランド・エクイティ」という言葉自体が「ブランドの純資産額」と訳できるわけでして。まあ色んな測定方法があるんだけど、世界最大のブランドコンサルティング会社であるインターブランドによるグローバルなブランド価値評価ランキング「Best Global Brands」というのが定評あるランキング。その2012年版はこんな感じのランキングに。
1位のコカコーラが778億ドルだから7兆円くらいかな。この会社では有名な話があって、元CEOのロベルト・ゴイズエタが「明日、工場や施設が全て焼失したとしても、我々の価値はいささかも揺るぎはしない。我々の価値はブランド愛顧と社内に蓄積されたナレッジに存するからだ」と述べたというのだ。これぞまさにブランド価値というものだ。
因みにこの分野で日本における第一人者となっているのが我らが一橋大学の伊藤邦雄先生だったりするわけ。会計学→企業価値測定→コーポレートブランドという流れ。こういうパターンで研究の流れが変遷していくのは日本では珍しいと思う。伊藤先生と日経新聞で共同推進している「CB Valuator」という測定方法を使うと、こんな結果になる。1位のトヨタ自動車の、2011年度のコーポレートブランド価値は5兆3689億円。測定方法と時期が違うからまあ変わるわな。
まあいずれにせよ、「ブランドイメージが良い・悪い」といった曖昧な判断基準ではなく、「このブランドの価値はいかほどの物か」という定量的なアプローチでブランドの価値が表現されることで企業はその上昇をどう測るか、施策の効果がどれだけあったかということを把握できるようになり、より有効なアプローチを選択していけるようになったというわけ。
●どうしてパナソニックはeneloopのパッケージを変えたのか
「ブランドどうこうというよりデザインがダサい」という向きもあったけど、はっきり言ってしまえばダサいデザインにするということはそれ自体ブランド価値を毀損することになるわけだ。おそらくパナソニックの担当者や経営陣もあのパッケージがダサいことくらい承知しているだろう。それでもなぜパナソニックはeneloopのパッケージを変えたのか。それはおそらく、ここ10年の松下電器の経営改革と繋がっている話だと思われる。
中村邦夫社長(当時)が10年前に開始した経営改革について説明するともう3つくらいエントリが書けてしまうので、この場ではブランドの話に絞って進めたい。
当時の松下電器産業にとって厄介な問題となっていたのはグループ会社の複雑化による重複商品とブランドのバッティングであった。当時松下には「パナソニック」製品と「ナショナル」製品の2種類があった。製品分野別に分かれているならまだしも、そうでないこともあったし、「パナホーム」で家を建てるとそこに備え付けの電化製品(照明とかインターホンとか)は親会社である松下電工の「ナショナル」「Nais(ナイス)」製品である、というどう考えてもギャグとしか思えないことが横行していたのである。そして「ナショナル」というブランドは海外展開で使いづらい。そこで中村社長は業績のV字回復を成し遂げたリーダーシップを発揮して、次々とグループ会社を統合していく。そして2004年には長いこと非連結の関連会社であった松下電工をTOBで子会社に戻し、2008年にはパナソニックグループとなって、完全にブランドを統一することができた。ただ、この時点ではまだ製品の重複などの問題は解決していない。
そこでグループの統一が図られた1ヶ月後に三洋電機の買収が発表される。これは当時経営再建中だった三洋電機を救済するための物で、実は2005年〜2006年に三洋電機の経営危機が表面化したときにも打診があったが当時は断ったもののやはり三洋の経営が行き詰まったために再度銀行から打診を受けたのを快諾した物だが、実際には当時パナソニックのエネルギー事業(特に車載用の二次電池事業)が行き詰まっているのを軌道修正するという目的があったという。因みに元々三洋電機は松下電器産業の専務であった井植歳男が公職追放されたときに義理の兄でもある松下幸之助から工場を譲り受けて創業したもので、いわゆる兄弟企業とでもいうべき存在だ。三洋電機を買収することでパナソニックグループはようやく一つにまとまったと言うことができるかもしれない。
さて、パナソニックグループはここにきて重複事業を解消しにかかる。三洋の白物家電はハイアールに移しそれ以外にも数多くの事業が整理されている。実はここでeneloopを作っている三洋のニッケル水素電池の工場もFDKに売却されている。そういう意味ではここでeneloopの命運は決していたのかもしれない。これはあくまでパナソニックの事業整理の一環だという風にとらえられる。あくまでも巨人的存在の企業であるパナソニックにとっては一つの事業整理、なのだろうけど。
●まとめ
パナソニックとしてはずっとやってきた「ワン・パナソニック」の総仕上げをしたという感覚なのだろう。匡冒頭でも言ったとおり僕はこの変更には否定的だ。というか極めてまずい決定だったと考えている。
今回特にまずかったのはeneloopとバッティングしていた充電式EVOLTAをそのまま残してしまったこと。おそらく松下が自社で製造していた充電式EVOLTAの方を残したかったのだろうけど、eneloopをつぶすことまではできなかった、ということだろう。非常に日本的というか、ずるずるいってしまったという印象。結局eneloopのデザインを変えてまでほしかったものはなんだったのか、という話になる。
eneloopを今の形で残すことはできなかったのだろうか。SANYOの小さな部分をPanasonicにすることで。きっと不可能ではないだろう。大きい企業の中にある一ブランドが、コーポレートブランドと切り離されて運営されている例は快挙にいとまがない。代表的な例を挙げればトヨタのレクサスであり、auのiida。これら二つにはコーポレートブランドは冠されていないがそれぞれが独自のポジションを確立している(レクサスは日本では微妙だけど最初に投入されたアメリカでは成功している)。そういう手法がパナソニックでできないということはないだろう。それを邪魔したプライドの問題であり、ブランド価値の見誤りということだろう。そもそもなんで三洋のニッケル水素電池事業売ったんだろう。スペック見ても充電式EVOLTAの方が明らかに性能が悪い。
このパナソニックの決断で充電池はこれから多少なりともコモディティ化することになるだろう。コモディティ化するとどうなるかというと、製品の差が無くなるので、顧客の選択は「どれでもいいや」「安けりゃいいや」的なものになりがちである。どれくらい、ということを今の時点で予測はできないが、eneloopの売上はこれから落ちるだろう。eneloopが7年かけて作りあげてきたブランド価値の重みと、それを作るのがどれだけ大変かということをこれからパナソニックは知ることになるのだろう。
ChargePadもeneloopブランドでほしかったなあ、とか。
●参考文献


●ブランド・エクイティ戦略―競争優位をつくりだす名前、シンボル、スローガン
ブランド価値という考え方を最初に導き出した傑作。かなりボリューム盛りだくさん。20年前の本だけど、今でも有効。
●コトラーのマーケティング・コンセプト


マーケティングの大家フィリップ・コトラーがマーケティング用語をコトラー流に解説した本。単語ごとに章が分かれているので読みやすいし、単なる辞書というより考え方とかも味わえる良書。
●松下電器の経営改革 (一橋大学日本企業研究センター研究叢書)


松下電器がパナソニックになる前史といえる本。2007年出版。今では結果論で切り捨てられがちな中村改革の本質をつかんでいる。実は間接的に僕の人生に影響を与えている本でもあったり。
By たにみやん • Bussiness •